スヤマタクジの社会ブログ

社会・人生・仕事がテーマの動画解説付きブログ

出来ているようで実は出来ていない、自分の頭で考えるということ

f:id:suyamatakuji:20170505100446p:plain

自分の頭で考えるは意外と難しいなと感じたスヤマタクジです。
今回はちきりんさんの本『自分のアタマで考えよう』の読書感想文・考察について。

動画考察・感想・評価:ちきりんさん『自分のアタマで考えよう』(約5分半)

ちきりんさんの『自分のアタマで考えよう』を読んで

f:id:suyamatakuji:20170505100944j:plain

今回読んだ本はちきりんさんの『自分のアタマで考えよう』

ちきりんさんとは『Chikirinの日記』という月間100万PV以上のアクセスを集めるブログを書いている社会派ブロガー。

本もたくさん出しているので『ちきりん』の名前で検索すると色々と出てきます。

今回はこのちきりんさんの『自分のアタマで考えよう』で気になった部分を引用しながら読書感想文・考察を書いていきます。

 

当たり前のようで実はできていない自分の頭で考える

あなたは自分の頭で考えていますか?

実はこれ、

自分では出来ていると思い込んでいるだけで実際は出来ていない人が多いんです。

こんな場合は自分の頭で考えていません。

  • 結論を先送りにする
  • すぐに誰かに相談する、または決めてもらう
  • 悩んでばかりで結論を出さない
  • 決めつけで良い悪いを決める

難しいことがあるとすぐに結論を先送りにする。

だいたいこの場合、必要がなければそのまま忘れて考えることをやめてしまいます。

すぐに誰かに相談する、または他の人に判断を任せるのも自分の頭で考えていません。

この二つについては分かりやすいんじゃないかなと思います。

問題は残り二つですね。

悩む=考えるではない

ここを勘違いしている人が多い。

考えるとは結論を出すために思考すること。

つまり、

悩んで思考が同じところをぐるぐる回っている状態は考えているようで何も考えていない状態

というわけです。

決めつけに関しては『自分のアタマで考えよう』を引用しながら考察していきます。

 

結論ありきの思考は実は考えていない

結論は各人が思うところをひとつ選ぶわけですが、情報を見て考えられることをすべて列挙せよといわれたら、よい面と悪い面の両方が出てくるのが、「知識にだまされていない純粋な思考」の結果です。

人は誰もが今までの経験や知識によって物事を判断するもの。

ただ、その経験や知識に影響を受けすぎると自分の頭で考えているようで実は考えていない状態になってしまいます。

その典型的な状態が決めつけですね。

例えば、

会社員は残業するのが当たり前

女は子供を産んで家庭に入るもの

アニメは子供やオタクが見るもの

といった決めつけや思い込みがあったらそのことについて考える時、思考にフィルターがかかってしまいます。

そんな一方的で反射的な思考は考えているとはいえません。

考えるとは過去の知識や経験に捉われ過ぎず、良い面と悪い面の両方が出てくる状態のことです。

 

自分の頭で考えるのはどうすればいいのか?

ここからはどうすれば自分の頭で考えるようになれるのかを考察していきたいと思います。

まず注意しないといけないのは、

「思考」は「知識」にだまされる

という点。

上でも書きましたが、人は今までの人生の知識や経験で物事を判断しようとします。

が、それに偏りすぎると決めつけや思い込みとなり、考えているようで考えていない状態になってしまいます。

それを避けるためには、

「知識」は過去!「思考」は未来!

ということを常に意識するようにしましょう。

今まで積み上げてきた知識はあくまで過去。
つまり、決めつけや思い込みは過去に捉われているということ。

しかし、考えるのはこれから自分がどうするかという未来です。

未来のことを考えるのに過去に捉われていては柔軟な発想なんて出てきません。

特に現代はどんどん状況が変わるスピードも上がっていまし。

ちょっと前まで正しいことだってそうじゃなくなる世の中です。

また、思考も勉強と同じで鍛えないと成長していきません。

そのためにも常日頃から、

「なぜ?」「だからなんなの?」と問うこと

が重要となります。

何かを見たり聞いたりしてもそれだけでは思考力はまったく伸びません。

それについて考えてはじめて思考力を鍛えることができるのです。

 

ちきりんさんの『自分のアタマで考えよう』の読書感想文・考察のまとめ

自分の頭で考えるということがどういったことか分かり、さらに詳しい例題なども書かれている本

以上、『出来ているようで実は出来ていない、自分の頭で考えるということ』でした。